« 2025年9月 | トップページ | 2025年11月 »

2025年10月

2025.10.26

J1第35節 名古屋-G大阪

10/25 豊田スタジアム
名古屋 0-2 G大阪

大河ドラマ『赤鯱燃ゆ』
~離反の槍 雪辱の陣 ~

※画像はAIによる生成です。
Img_1471

名古屋赤鯱軍が「日ノ本蹴球組合一部」にて、残留の旗の下に戦う仕儀と相成ってはや数ヶ月。
吹田健脚隊とは前回の合戦にて見苦しき敗北を喫し、民衆の士気は地に落ちたり。
本日の雪辱の再戦、赤鯱軍は首級を上げんと稲垣祥兵衛を筆頭に、若武者・木村勇大之介らは燃ゆる闘志を胸に戦場へ馳せ参じた。

だが、敵陣にはかつて尾張の地を出奔し、吹田に与した中谷進之介なる猛者が立ちはだかる。
こやつ、健脚隊の鉄壁の守りを築き上げ、赤鯱軍の攻撃をことごとく跳ね返した。
木村勇大之介とその相棒、山岸祐十郎が幾度も敵陣に斬り込み、鋭い槍を突き立てんとしたも、中谷進之介の策に阻まれついに得点の功を挙げられず。

守りの要、門番・武田洋平左右衛門は、健脚隊の猛攻を幾度も防ぎ、尾張の誇りを守り抜かんとした。
されど南蛮の傭兵ジェバーリが神出鬼没なる動きを見せ、赤鯱守備陣の眼を惑わす。
そして一瞬の隙を突かれ、ついに赤鯱軍の城門は破られた。
その後も名古屋赤鯱軍に反撃の力はなく、刀は折れ矢は尽き、あえなく敗戦。
吹田健脚隊への雪辱はならず、残留の夢もまた遠のいたのであった。

Img_1467

不甲斐ない負け戦に尾張の民が嘆きに暮れる中、遠く下総の国より吉報が届く。
柏太陽族が、横浜蹴球倶楽部を討ち破ったとの報せなり!
他力本願寺の調略により、赤鯱軍は残留への駒を一つ進めることができたのだ。

尾張の民は柏太陽族と他力本願寺に感謝の念を抱き、しばし安堵の息をつく。
されど、戦国の世は無常なり。
次なる合戦の相手は、皮肉にもこの柏太陽族なのだ。
今日の他力は明日の敵。
赤鯱軍の将兵は感謝の杯を揚げる間もなく、再び刀を手にせねばならぬ。

果たして、名古屋赤鯱軍は天下統一を争う柏太陽族を打ち破れるのか?
それとも、戦国の荒波に飲まれ、溺れるのか?
それとも、横浜蹴球倶楽部が敗れ最後まで他力本願寺のお世話になるのか?

戦国の世の物語は、未だ終わりを見せず――。

<つづく>
--------------------------------------
まったく、シーズン最後まで楽しませてくれるぜハセケンは!



| | コメント (4)

2025.10.19

J1第34節 横浜FC-名古屋

10/18 ニッパツ三ツ沢球技場
横浜FC 2-2 名古屋

大河ドラマ『赤鯱燃ゆ』
~裏天王山 炎上の陣 ~

※画像はAIによる生成です。
Img_1433

むかしむかし、日ノ本蹴球組合一部を舞台に、名古屋赤鯱軍と横浜蹴球倶楽部との存亡を賭けた大合戦があった。
その戦場こそ、天下分け目と名高き「裏天王山」。
雲低く垂れこめ、草木ざわめくその地に、両軍の兵は鬨(とき)の声を張り上げた。

赤鯱軍きっての若武者・木村勇大之介、前戦に続く二度目の首級(みしるし)奪取を狙い、開戦早々に敵陣へ斬り込む。
しかし天運か、足軽の一人が旗印より一足早く駆け出していたことが露見し、審判衆が「出し抜き待伏せの咎(とが)」なる御触書を掲示。
木村の刃は虚空を切ることとなった。

その隙を突き、横浜蹴球倶楽部は先制の狼煙を上げ、赤鯱軍の陣幕を揺らす。
さらに無念、南蛮より召し抱えし頼もしき助っ人マテウス・カストーロが足に矢を受け戦場を退く。
陣中騒然、されど赤鯱軍は怯まず!

中盤の軍師たちが巧みに矢玉を回し、左右の兵が重ねて攻め立てる。
すると敵陣の兵、武士道に反する狼藉を働きしゆえ「成敗蹴り」の沙汰がくだる。
これを赤鯱軍の稲垣祥兵衛が敵壁を打ち破り同点!

さらに本陣固めが本来お役目の佐藤遥大之丞が勇敢に敵陣を突破。
逆転の陣太鼓を打ち鳴らし形勢は逆転、赤鯱軍の歓声が裏天王山に鳴り響いた。

「このまま赤鯱軍、残留安堵か」と誰もが思ったその刹那――。
横浜蹴球倶楽部は守りに入った赤鯱軍の本陣に向かって秘技「千里投擲の術」で火を放つ。
山肌より炎が噴き上がり、赤鯱軍の兵は視界を失う異常事態。
混乱の果てに敵味方互いに首級を取り損ね、戦は無念の引き分けと相成った。

Img_1435

同じ頃、遠くで蠢くのは「他力本願寺」の一派。
彼らは横浜水兵鴎軍を抱き込み、戦局を己が都合に運ばんとしたが、懐柔の使者は尾張名物の手土産が尽き、門前で追い返される失態。
その上、裏天王山の飛び火が寺の本堂にも及び炎上。

横浜水兵鴎軍は勢いを増して迫り来る始末。
山は燃え、寺は燃え、残留の道は火の粉舞い散る修羅のごとし。

――さて、この混乱の世を生き残るは、赤鯱か、水兵鴎か、それとも新たなる群雄か。
日ノ本蹴球組合一部を巡る残留争乱の幕は、いまだ下りぬのであった――。

<つづく>
-------------------------------------
マテちゃんが軽傷であることを心から祈ります。



| | コメント (2)

2025.10.13

『レッド・ツェッペリン:ビカミング』大ヒット記念【今さら人に聞けないアルバムレビュー第4回~「レッド・ツェッペリンIII」問題作から名作へ!大いなる転換点~

ロックバンドにとって、3枚目のアルバムはしばしば「問題作」と呼ばれます。
初期衝動をぶつけたファースト、その勢いを洗練させたセカンドを経て、バンドに余裕が生まれたとき、彼らは新しい表現への挑戦を試みるからです。
1970年にリリースされたレッド・ツェッペリンのサード・アルバム、その名も『レッド・ツェッペリン III』も大いなる問題作とされました。

▼帯がない!どこにやってしまったんだろう。
Img_1389


■予想外の「静けさ」に面食らう
後追い世代である僕がツェッペリンを聴き始めた頃、まず手にしたのは、「天国への階段 (Stairway to Heaven)」、「ブラック・ドッグ (Black Dog)」の入った名盤「Ⅳ」、「胸いっぱいの愛を (Whole Lotta Love)」が聴ける「Ⅱ」あたりでした。

それらを一通り聴き終えて『III』を聴いた第一印象は「あれ?こんなに静かな曲が多いの?」でした。
ブルースをベースにした重厚なハードロックを聞かせてくれたツェッペリンに、僕が期待したのは、さらなる轟音と迫力でした。
しかし、この『III』は、その期待を少なからず裏切るものでした。

1曲目こそハードな「移民の歌」ですが、アルバムのほとんどは、スコットランドの田舎でメンバーが合宿生活を送る中で生まれた、アコースティックな楽曲が中心だったのです。
マンドリンやアコースティックギターを多用し、トラッド・ミュージックやフォークの要素を取り入れた静謐でメロウなサウンドは、当時のファンや批評家からも「地味だ」「ツェッペリンらしくない」といった、賛否両論を巻き起こしたそうです。

■『レッド・ツェッペリンIV』への静かなる布石
しかし、時を経てこの『III』は、ツェッペリンの音楽的多様性を証明した重要作として再評価されています。
このアルバムで彼らが深めたアコースティックな表現や、大胆なリズムチェンジへの試みは、次のモンスターアルバムへと決定的に繋がります。
そう、続く4枚目のアルバム『レッド・ツェッペリン IV』です。

『IV』の代名詞とも言える「天国への階段」は、静かなアコースティックから始まり、徐々に盛り上がり、最後はハードロックで終わるという、ツェッペリンのすべてを凝縮した構成を持っています。
この曲の前半で聴かせる静けさや深みは、『III』で彼らがアコースティックな表現力を徹底的に磨いたからこそ到達できた境地です。
静けさと激しさ、ツェッペリンの2つの顔がスタイリッシュに整理され、再融合された結果、彼らの音楽はもはやハードロックというジャンルの枠に収まらない、唯一無二の存在として確立されました。

▼ジャケットのフチをクルクル回すと窓からのぞく絵が変わる。なんちゅう凝った作り。
Img_1392

『III』、それは、ツェッペリンが単なる「すごいハードロックバンド」から「ロックのすべてを体現するバンド」へと進化するための、避けて通れない実験場だったのです。
そのような背景を知って聴けば、このアルバムの持つ「静かなる傑作」としての魅力がより深く心に響くはずです。

というわけで今回は、バンドが「コンセプトをキープする」という安全策を捨て、新しいことに挑戦したゆえの問題作『レッド・ツェッペリン III』をレビューしました。
果たして第5回はあるのでしょうか?!




| | コメント (0)

2025.10.10

『レッド・ツェッペリン:ビカミング』大ヒット記念【今さら人に聞けないアルバムレビュー第3回~『最終楽章 CODA』こういうのでいいんだよ!解散後に輝くツェッペリンの真骨頂

僕がレッド・ツェッペリンを聴き始めたころ、既に彼らは解散していました。
遡って名盤の数々を聴き込む日々でしたが、唯一リアルタイムでの発売を経験できたのが、この『最終楽章 CODA』でした。

▼残念!帯がない!昔の僕のバカ!ちゃんと取っとけよ!
Img_1296

■各年代の「ツェッペリンらしさ」が凝縮
1980年の解散後に未発表曲を集めて1982年にリリースされたこのアルバムには、初期から解散寸前までの各年代の音源が収録されています。
まずはオープニングを飾る、1970年のライブ録音「We're Gonna Groove」の荒々しくもグルーヴィーならしさ全開のサウンドを聴けば、一瞬で彼らの世界に引き込まれます。
さらに、「I Can't Quit You Baby」のブルースへの深い愛情、「Poor Tom」の奔放さなど、決して寄せ集めではなく、一つのアルバムとして聴いた時のまとまりの良さは、他のオリジナルアルバムと比較しても遜色ありません。

■『イン・スルー・ジ・アウト・ドア』時代の再評価
特に注目したいのは、異色作とされる最後のオリジナルアルバム『イン・スルー・ジ・アウト・ドア』のセッションから生まれた未収録曲群です。
アルバム本編は、シンセサイザーの導入など、これまでのツェッペリンとは異なる内省的で実験的なアプローチが目立ちました。
当時のファンとしては、「従来のハードロック路線を貫いて欲しかった」という思いが強かったことでしょう。

今にして思えば、常に進歩を欲する彼らのアーティストとしての姿勢と、パンク/ニューウェーブが台頭し「新しいもの」が強く要求された時代の波に、ツェッペリンといえども抵抗しきれなかった部分があったのかもしれません。

しかし、『CODA』に収録されたアウトテイク「Ozone Baby」や「Darlene」「Wearing and Tearing」を聴くと、そこには紛れもないツェッペリンらしい強靭なハードロックサウンドが息づいています。
これは、彼らがアルバム本編で「あえて従来とは違うツェッペリン」を見せようとしつつも、その裏側では、核となる「ハードロックバンド」としての揺るぎないアイデンティティを変わらず保持し続けていた証拠でしょう。

■『最終楽章 CODA』が持つ真価
このアルバムは、単なる「余った曲集」ではありません。
ここには、バンドが進歩や挑戦を求める中であえて採用しなかった、彼ら本来の強靭なリフとグルーヴが鮮明に記録されています。
『最終楽章 CODA』が提示する揺るぎないツェッペリンの姿には、「こういうのでいいんだよ!」と思わず膝を叩きたくなること必至です。

▼アナログLPって贅沢な作りだったんだと改めて実感。
Img_1298

このアルバムは、できればツェッペリンのオリジナルアルバムを、全て聴き終えてから聴くことをお勧めします。
そうすれば結成から解散までの10年間、彼らが何を選び何を選ばなかったのか、その思考の一端にでも触れることができるはずです。

というわけで、第3回はツェッペリンの真のラストアルバムとも言える『最終楽章 CODA』をレビューしました。
果たして第4回はあるのでしょうか?




| | コメント (0)

2025.10.08

『レッド・ツェッペリン:ビカミング』大ヒット記念【今さら人に聞けないアルバムレビュー第2回~『イン・スルー・ジ・アウト・ドア』 ツェッペリン(結果的に)最後の挑戦

1979年発表の『イン・スルー・ジ・アウト・ドア』は、レッド・ツェッペリンにとって通算8作目にして、結果的に最後のオリジナル・アルバムとなりました。

▼アナログ盤は茶色い紙袋に入ってました。
Img_1288

■結成10年、天才たちの変化と苦悩
『イン・スルー・ジ・アウト・ドア』を聴くと、誰しもが「あれ?いつものツェッペリンじゃないな」という違和感を覚えるでしょう。
この時期、メンバーそれぞれの私的な問題や、ロバート・プラントを襲った悲劇的な出来事の影響もあり、バンド内のパワーバランスは大きく変化しました。

このアルバムではジミー・ペイジのギター・リフは影を潜め、代わりにジョン・ポール・ジョーンズのシンセサイザーが前面に出ています。
カントリーやラテンといった、それまでのアルバムではエッセンスとして取り入れていた要素が前面に押し出され、いわゆる「多様性」を強調した内容となっています。

結成10年が経ち、バンドの核であったハードロックのフォーマットでは未来が見えず、どこか手詰まり感を抱えながらもがいている様子が音に表れているように感じます。
(このアルバム用にレコーディングされたもののボツとなり、後に未発表曲を集めたアルバム『最終楽章CODA』に収録された3曲が、皮肉にも王道のハードロックであることがそれを証明しています)

▼袋から出すとジャケットが。6種類のうちどれか分からない仕様でした。
Img_1289


■ジョン・ボーナムの急逝と終わりの予感
このアルバム発表のわずか1年後、ドラムのジョン・ボーナムが急逝しレッド・ツェッペリンは解散します。
「この4人でなければ続けられない」
悲壮な決断とともにバンドは終止符を打ったのですが、もし、ボンゾの急死がなかったとしても、僕はこの『イン・スルー・ジ・アウト・ドア』がレッド・ツェッペリンのラストアルバムになっていた気がしてなりません。

なぜなら、彼ら(特にジミー・ペイジ)は妥協を許さない完璧主義者でした。
もしも彼らの目指す「新しいレッド・ツェッペリン」が、過去の自分たちを超える納得のいく形でなかったら、彼らは自らに終止符を打つことを選んだのではないでしょうか。
偉大なバンドの終わりは、必ずしも悲劇である必要はなく、自己批判と美意識に基づいた「自発的な解体」であったのかもしれません。

そう思いながら改めて最後のブルース「I'm Gonna Crawl」を聴くと、まるで彼らが荒々しいエネルギーの放出を終えて、時代の終焉を静かに悟っているかのような深い哀愁を感じます。
結果的に「終点」となったこの作品は、新しいロックの扉を開き続けた天才たちの最後の挑戦であり、ロック史における最高の「終活」として、今もなお特別な重みを持って僕の心に響くのです。

以上、レビュー第2回はレッド・ツェッペリンのラストアルバム『イン・スルー・ジ・アウト・ドア』でした。
果たして第3弾はあるのでしょうか?!



| | コメント (0)

2025.10.05

J1第33節 名古屋-C大阪

10/4 豊田スタジアム
名古屋 2-1 C大阪

※画像はAIによる生成
Img_1283

『赤鯱戦国記~木村の矛!武田の盾!本願成就への雄叫び〜』

むかしむかし、尾張の国に「名古屋赤鯱軍」と呼ばれる勇ましき蹴鞠武者たちがおった。
この夏、赤鯱軍は日ノ本蹴球組合一部の地に踏みとどまるため、死力を尽くして戦っておったが、どうにも勝ち星が転がり落ちては掴みきれぬ日々が続いた。
兵は膝をつき、民は味噌煮込みをすする気力すら失いかけていた。

そこで立ち上がったのは新しき武将、その名も木村勇大之介!
「ここで討ち果たさねば、武士の名折れ!今日こそ尾張にて初の御首級(みしるし)を挙げ申す!」
木村勇大之介は、上方桜花軍の敵陣深くに切り込み、ズバァァンと見事な一太刀!
その玉(ぎょく)は敵の守りを貫き、城門をぶち破ってゴールへ突き刺さった!
「うおおおおおおお!」
初の首級を上げた木村勇大之介の雄叫び!

その後も赤鯱軍は手を緩めず上方桜花軍を攻め立てる。
守っては鉄壁の門番、武田洋平左右衛門が敵の侵入を跳ね返す。
そして合戦終了を告げるホラ貝の音が高らかに響き渡る。
「勝ったぞおおおおおお!!」
赤鯱軍の兵も民も、太鼓を打ち鳴らし、勝鬨(かちどき)をあげた!

……と、その刹那。
どこからともなく風が吹き、鐘の音が響く。
ゴォォォォォン……。
「なんじゃこの鐘は……」
「他力本願寺よりの報せにござる!」
「横浜蹴球倶楽部軍、力尽き敗戦!」
「横浜F.船乗鴎軍も、あえなく敗れたる由!」
「なんと……!」

兵も民もその場で正座し、手を合わせた。
「南無他力本願寺……!」
こうして名古屋赤鯱軍は、他力本願寺のご利益もあり、見事残留への階段を駆け上がったのであった。

めでたし、めでたし。(まだめでたしではない)
Namunamu25



| | コメント (2)

2025.10.03

『レッド・ツェッペリン:ビカミング』大ヒット記念【今さら人に聞けないアルバムレビュー第1回】~『プレゼンス』極限状態で生み出された「魂の記録」~

レッド・ツェッペリンで一番好きなアルバムは人生その時々によって変わりますが、一応おっさんと呼べる歳になった今現在で最も好きなアルバムは?と聞かれれば『プレゼンス』と答えるでしょう。

▼高校生の時に買ったアナログ盤(たぶん再販版)。残念ながらカビが生えてます。
Img_1255

レッド・ツェッペリンが1976年発表した7枚目のアルバム『プレゼンス(Presence)』は、彼らが武骨なハードロックに立ち返った作品で、バンドの最もピュアで、最も生々しい姿が刻み込まれています。

■装飾を削ぎ落とした緊張感
このアルバムは、バンドが直面していた困難な状況(ロバート・プラントの自動車事故による負傷など)の中、ツアーが中止となり、活動休止を余儀なくされた時期に制作されたという背景があります。
レコーディングは18日間という短期間で集中的に行われたため、キーボードなどの装飾を一切排し、メンバーそれぞれが自我を極限までむき出しにして、純粋な4ピースの音だけを叩きつけています。

■圧巻のオープニング曲と、ペイジの「危うさ」
アルバムの白眉は、10分を超えるオープニングトラック「アキレス最後の戦い (Achilles Last Stand)」です。
ジョン・ボーナムの疾走感溢れるドラムと、ジミー・ペイジの多重録音による「ギター・オーケストレーション」が、聴く者をねじ伏せるような圧倒的な「存在感(Presence)」を放っています。

しかし、この「アキレス最後の戦い」の凄まじいテンションは、追い詰められた制作状況が生んだ危うさも内包しています。
特に中盤のギター・ソロには、緻密な計算と同時にコントロールを失いかねないほどの衝動が同居しており、極限状態で作品を完成させようとするペイジの焦燥感や執念が透けて見えるようです。
このわずかな「いびつさ」こそが、完璧な演奏を超えた生々しいドラマを聴き手に感じさせます。

■ソリッドなロックへの回帰
「アキレス最後の戦い」以外にも、ブルースの古典を引用した人気曲「俺の罪 (Nobody's Fault But Mine)」、ジョン・ポール・ジョーンズのベースが唸るファンク要素を取り入れた「キャンディ・ストア・ロック (Candy Store Rock)」などを収録。
そして、アルバムの最後を締めくくるのは、ロバート・プラントの孤独な心情を歌ったスロー・ブルース「一人でお茶を (Tea for One)」で、ツェッペリンのルーツであるブルースを基礎としたロックへの深い回帰を見せています。

▼ライナーノーツはもちろん故・渋谷陽一氏(合掌)
Img_1266

『プレゼンス』は、知名度では他のアルバムに及ばないかもしれませんが、バンドが危機的状況の中で、自身の根源的なサウンドと向き合い、魂を削って生み出した真のロックの記録として、今なお根強い支持を集める傑作だと思います。

ということで第1回は『プレゼンス(Presence)』でした。
果たして第2回はあるのでしょうか・・・?


| | コメント (0)

2025.10.01

映画『レッド・ツェッペリン:ビカミング』後追い世代ワイ感涙レビュー~ジョン・ボーナムの爆撃ドラムが物理的に胸を打つ!ラストは4人の永遠の絆に涙すべし!~

映画『レッド・ツェッペリン:ビカミング』
公開初日、イオンシネマとしては日本国内で唯一のIMAXデジタルシアターを誇るイオンシネマ大高にて鑑賞!!
Img_1234

■初の公認ドキュメントが描く”ビカミング”の瞬間
80年代ハードロックに夢中になり、そこから遡る形でレッド・ツェッペリンに辿り着いた後追い世代の僕にとって、このドキュメンタリー映画は伝説の源流に触れる、いわば「原点回帰の旅」と言える作品でした。

本作は、バンドのキャリア全体ではなく、結成からセカンド・アルバム発表までの「初期衝動」、すなわちジミー・ペイジ、ロバート・プラント、ジョン・ポール・ジョーンズ、ジョン・ボーナムという稀代の才能が絡み合い、想像を絶する化学反応を起こした"ビカミング"(誕生)の瞬間に焦点を当てています。
初の公認ドキュメンタリーとして、4人の音楽的ルーツと才能が融合していく過程を、本人たちの言葉で追体験できるのは至福の体験と言えるでしょう。

■巧みな編集とメンバーの言葉で紡ぐ出色の演出
ジミー・ペイジがメディアを厳しく遠ざけていたため、ツェッペリンのキャリアを通じて映像資料が少ないことは定説ですが、本作はそのハンデを逆手に取っています。
残された貴重なライブ映像、未公開のアーカイブ動画、写真、資料を駆使したモンタージュ的な編集は目を見張るものがあり、バンドを取り巻く60年代後半から70年代初頭の時代の空気感を立体的に浮かび上がらせています。
ナレーションを一切排し、メンバー自身の言葉だけで物語を紡ぐスタイルも、彼らの存在を神秘的かつ生々しく演出する最高の選択でした。

■IMAXで体験する「21世紀のツェッペリン体験」
そして、この映画をIMAXという現代技術を駆使した(料金的にも)最高の鑑賞設備で体験できることは特筆に値します。
ツェッペリンのライブ演奏を収めた映像は画質、音声ともにクリアかつダイナミックに修復され、バンドの代名詞である岩石を投げるような強烈なリズム、とりわけジョン・ボーナムの爆撃のようなドラミングが、肌を震わせ、身体の芯まで響き渡ります。
演奏シーンは1曲まるごと収録されているものも多く、当時のライブ会場にいるような、まさに「21世紀のツェッペリン体験」というべき没入感が得られます。

↓IMAX特典のポスターとレコード型のウチワとパンフレット。
Img_1236

-------ここからちょっとネタバレ-------

■胸を熱くする、4人の永遠の絆
映画の終盤、亡きジョン・ボーナムがメンバーそれぞれに語りかける生前の未公開ボイスが流れ、それを穏やかな笑顔で聞くペイジ、プラント、ジョーンズの姿には胸が熱くなりました。
一人のメンバーを失っても、4人の間に生まれたグルーヴと絆は永遠に生き続けている。
そう、この4人こそがレッド・ツェッペリン。
ジョン・ボーナムを失ったことで解散を選択した理由を納得させるこの場面は、本作における最も感動的な瞬間として観る者の心に深く刻まれるでしょう。

-------ネタバレ終わり-------

■劇場での追体験という「2025年の奇跡」
この濃密な「序章」を鑑賞した今、この物語がこのまま終わってしまうのは惜しすぎます。
この作品を前編として、バンドの狂熱の時代と悲劇的な解散、そしてその後のメンバーの想いが描かれる後編を期待せずにはいられません。

レッド・ツェッペリンという伝説がいかにして誕生し、ロックをどう再定義したのか。
その旅の記録は、全ての音楽ファンにとって必見と言えるでしょう。

ていうか、今時こんなニッチなロック映画がシネコン系の一般公開で観られること自体が奇跡です。
伝説のバンドを劇場で追体験する、2025年の特別なイベント映画として、ぜひ大スクリーンでご覧になることをおすすめします。

・・・たぶん上映期間めちゃ短い気がします。

| | コメント (0)

« 2025年9月 | トップページ | 2025年11月 »