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2025.10.08

『レッド・ツェッペリン:ビカミング』大ヒット記念【今さら人に聞けないアルバムレビュー第2回~『イン・スルー・ジ・アウト・ドア』 ツェッペリン(結果的に)最後の挑戦

1979年発表の『イン・スルー・ジ・アウト・ドア』は、レッド・ツェッペリンにとって通算8作目にして、結果的に最後のオリジナル・アルバムとなりました。

▼アナログ盤は茶色い紙袋に入ってました。
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■結成10年、天才たちの変化と苦悩
『イン・スルー・ジ・アウト・ドア』を聴くと、誰しもが「あれ?いつものツェッペリンじゃないな」という違和感を覚えるでしょう。
この時期、メンバーそれぞれの私的な問題や、ロバート・プラントを襲った悲劇的な出来事の影響もあり、バンド内のパワーバランスは大きく変化しました。

このアルバムではジミー・ペイジのギター・リフは影を潜め、代わりにジョン・ポール・ジョーンズのシンセサイザーが前面に出ています。
カントリーやラテンといった、それまでのアルバムではエッセンスとして取り入れていた要素が前面に押し出され、いわゆる「多様性」を強調した内容となっています。

結成10年が経ち、バンドの核であったハードロックのフォーマットでは未来が見えず、どこか手詰まり感を抱えながらもがいている様子が音に表れているように感じます。
(このアルバム用にレコーディングされたもののボツとなり、後に未発表曲を集めたアルバム『最終楽章CODA』に収録された3曲が、皮肉にも王道のハードロックであることがそれを証明しています)

▼袋から出すとジャケットが。6種類のうちどれか分からない仕様でした。
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■ジョン・ボーナムの急逝と終わりの予感
このアルバム発表のわずか1年後、ドラムのジョン・ボーナムが急逝しレッド・ツェッペリンは解散します。
「この4人でなければ続けられない」
悲壮な決断とともにバンドは終止符を打ったのですが、もし、ボンゾの急死がなかったとしても、僕はこの『イン・スルー・ジ・アウト・ドア』がレッド・ツェッペリンのラストアルバムになっていた気がしてなりません。

なぜなら、彼ら(特にジミー・ペイジ)は妥協を許さない完璧主義者でした。
もしも彼らの目指す「新しいレッド・ツェッペリン」が、過去の自分たちを超える納得のいく形でなかったら、彼らは自らに終止符を打つことを選んだのではないでしょうか。
偉大なバンドの終わりは、必ずしも悲劇である必要はなく、自己批判と美意識に基づいた「自発的な解体」であったのかもしれません。

そう思いながら改めて最後のブルース「I'm Gonna Crawl」を聴くと、まるで彼らが荒々しいエネルギーの放出を終えて、時代の終焉を静かに悟っているかのような深い哀愁を感じます。
結果的に「終点」となったこの作品は、新しいロックの扉を開き続けた天才たちの最後の挑戦であり、ロック史における最高の「終活」として、今もなお特別な重みを持って僕の心に響くのです。

以上、レビュー第2回はレッド・ツェッペリンのラストアルバム『イン・スルー・ジ・アウト・ドア』でした。
果たして第3弾はあるのでしょうか?!



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